今回はさいたま市大宮区下町の「涙橋」を紹介します。
以前、行田市の涙橋を紹介しました。
こちらは、やむを得ず別れることになってしまった城主の妻が、
橋まで来たところで振り返ると、城主と幼い子どもが見えて涙を流したことが由来でした。
さて、今回の涙橋は涙を流したことは共通ですが、もっと痛々しい話が由来とされています。
橋のそばにある説明板や資料などによると、
もともと橋は中仙道を横切る川に架かっていた「中の橋」と呼ばれる橋だったそうです。
そして町外れには、罪人の処刑場があり、親類者らは中の橋で別れを惜しみ、
涙を流したことから「涙橋」と呼ばれるようになったそうです。
写真の橋の一部は、銀行ができる敷地造成の際、
橋げたの枠石(わくいし)が見つかったことから、遺跡として残したものだそうです。
ちなみに、川は境目の場所としていろいろな場面で使われています。
例えば市や町の自治体の境目のほか、町内会の境目としてもそうです。
また、この世とあの世の境目としてあるとされているのが「三途の川(さんずのかわ)」です。
川は位置が変わりにくいので境目として使用されることが多く、
川を越えることは、新しいところへ行く切り替えの要素として考えられているからだと思われます。
イベント名 | 処刑前、涙で別れを惜しんだことが由来「涙橋」/サイタマニア イシ★バシ |
埼玉をこよなく愛する、埼玉専門の覆面フリーライター。実は生まれ育ちは東京。
愛車の原付バイクで県内をくまなく回り、埼玉のニッチな魅力を日々発掘!
テレビ出演多数。著書【埼玉のアナ 東上沿線 和光-川越編】。