「縁結び」がブームともいえる今日この頃。
ご利益のある神社では参拝者が増え、婚活パーティーの参加者を募集する広告をよく目にします。
そんな中、時代に逆行するような「縁切橋」という変わった名前の橋が、埼玉県嵐山町にはあります。
由来はある伝説によるものなのですが、これがなかなか驚きの内容なのです。
その昔、軍人・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が悪さをする悪竜退治のために準備を整えていました。
すると、心配した奥方がわざわざ京都から来てくれました。
ところが、坂上田村麻呂は「征夷大将軍としてこの地に来ている私に、妻が訪ねて来るとは何事だ。あわぬぞ!」と、奥で待つ奥方にも聞こえるくらいの大声で取り次いだ家来に怒鳴りました。
翌日、帰ろうと橋のところまで来た奥方の前に坂上田村麻呂が現れ、こう言いました。
「大命を受けて出陣しているのに、それを追い来るとは何事だ。ただ今より妻ではない、夫ではない、早々に足り去るがよい」
以来、この橋を「縁切橋」と呼ぶようになったそうです。
縁起が悪いので婚礼時には渡らない習慣が生まれました。
橋のそばに住む方の話によると、昭和45年くらいまでは渡っていなかったそうです。
現在は道路の拡張工事などで舗装道路のようになっています。
30年ほど前に観光用に造られた写真の欄干も、気にしながら見ていないとすぐに通り過ぎてしまいます。
もともとは、平な石が橋として置かれていたようです。
イベント名 | 縁切り橋 |
埼玉をこよなく愛する、埼玉専門の覆面フリーライター。実は生まれ育ちは東京。
愛車の原付バイクで県内をくまなく回り、埼玉のニッチな魅力を日々発掘!
テレビ出演多数。
著書【埼玉のアナ 東上沿線 和光-川越編】。