レポート
2023.07.14

【前編】海なし県が海を守る!?異国の船から日本を守った忍藩の沿岸警備!

忍城成田軍の足軽あおでございます。

我々『忍城おもてなし甲冑隊』は埼玉県行田市観光PR隊として、忍城を拠点に日々様々な活動を行っておりまする。

そんな我らの住まう埼玉県行田市は
海と接していない”海なし県”とも呼ばれておりまする。

一見、海とは関わりがなさそう…?

いやいや!!

実は歴史的にみると、行田の人々は海と深く関わっていた事があるのでございます!!

異国の船が往来する日本近海

今から数百年前の江戸時代の事。
日本は長い間、外国との関わりを一部に限定した鎖国状態にありました。

しかし18世紀半ば以降、日本近海には多くの異国船が姿を見せる様になったのでございます。

これに困ったのは江戸幕府。
日本(江戸)を守るために策を練らねばなりませんでした。

そこで考え出された対策が…

江戸湾沿岸警備!!!

江戸湾とは現在の東京湾周辺の事。
沿岸警備を強化する事によって、異国からの侵入を防ごうとしたのでございまする。

国を守るための海防施設『台場』

沿岸警備には様々な地域から『藩』と呼ばれる組織が招集され、〇〇の地域は〇〇藩という様に、それぞれ守る場所が決められておりました。

そして各持ち場には、もしもの場合に備え『台場』と呼ばれる『砲台=大砲を置く台』や、それに関わる諸施設が設置されたのでございます。

その数は日本沿岸に約800ほどあったのだとか!

台場とは言わば国を守る要塞の様なもの。

その数の多さから、当時の日本人がどれだけ国を守ろうとしていたか窺い知る事ができまする。

沿岸警備に抜擢された忍藩

嘉永期頃の江戸湾沿岸台場・陣屋
(行田市郷土博物館蔵)
現在の三浦半島・千葉県沿岸に多くの台場が設置された。

初めて沿岸警備が意識されてから50年後。
1842年(天保13年)の事。

忍藩主(現在の行田市)松平忠国が房総半島の警備を任される事になりました!

範囲としては富津台場〜白子台場まで。(上記画像参照)
現在の千葉県富津市〜南房総市までの沿岸を守る事になったのでございます。

房総半島は元々幕府直轄で警備を行っていた場所。

ですが、忍藩主が江戸幕府初代将軍・徳川家康公の血筋を受け継いでいた、という繋がりもあって抜擢されたのだそう!

忍藩はとても重要な場所の警備を任されていた訳でございますね!

画像

  1. マンハタン号の図(行田市郷土博物館蔵) 1845年に来航したアメリカの捕鯨船マンハタン号の図。忍藩士であった清水清兵衛が描いたとされております。
  2. 米船渡来旧諸藩士固之図(行田市郷土博物館蔵) 諸藩の沿岸警備の様子を描いた錦絵。

——

ペリー来航!その時忍藩は…?

1853年(嘉永6年)ペリー艦隊が浦賀に来航。
この時も忍藩は他の藩と共に海防警備にあたっておりました。

ペリーによって開国を迫られた幕府は、これを脅威に感じ、より一層海防体制に力を入れる事となりました。

そのひとつとして、新たに品川台場(現在のお台場海浜公園や天王洲アイル周辺)に一番から十一番までの台場を建設する計画が立てられました。

その際、忍藩は幕府から房総警備の任を解かれ、第三台場の警備を命じられたのでございます。

 

次の記事に続く…

レポーター紹介

足軽あお

行田市観光PR隊「忍城おもてなし甲冑隊」 武将を支える縁の下の力持ち

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