レポート
2023.07.14

【後編】海なし県が海を守る!?異国の船から日本を守った忍藩の沿岸警備!

日本開国!その時忍藩は…?

品川大筒御台場出来之図(行田市郷土博物館蔵)

1番左奥にある島が、忍藩が守った第三台場。

翌年1854年(嘉永7年)の正月
ペリーは再び軍艦を率いて来航。

品川台場は未完成でありましたが、忍藩は警備予定であった第三台場に藩士を配置してその場を凌ぎました。

その3ヶ月後。

ついに第一台場〜第三台場が完成。

それに加えて第五・第六・御殿山台場も着工から1年4ヶ月の間に完成し、日本の防御施設はより強固なものとなりました。

※その他の台場に関しては財政難などにより完成せず

台場の工事が進められている中、日本は日米和親条約を結び開国。200年以上続いた鎖国が終わりを迎えたのでございます。

忍藩は日本開国後も品川台場の警備を続けると共に、上洛を命じられれば京都の警備を行うなど、徳川一門として幕府を大いに支えていたと言われておりまする。

最初に警備を始めてから約20年間。

忍藩は日本の海を守り
人々の生活を守っていたのでございまする。

現在も残る忍藩が守った第三台場

レインボーブリッジ右下から延びる土地が『第三台場』《写真提供》東京都港湾局

忍藩が守った第三台場は国指定史跡『台場公園』として現在も残されており、誰でも見学する事ができるようになっております。

園内には砲台跡や火薬庫跡など、当時の様子を知る事ができる遺構が様々残っているのですよー!

ちなみに!!

現在人気スポットとなっている『お台場』
この地名は、かつて『台場』があった事が由来となっているのでございます!

さて。

少々長くなってしまいましたが…
海なし県である埼玉県行田市が、海とどんな関わりがあったのか少しでも知っていただけたでしょうか?

海を守る事は日本を、そして人々の生活を守る事。

これは時代が変わった現代にも当てはまる事だと思いまする。

昔と今で時代背景や状況は異なりますが、
かつての忍藩がそうであった様に
海を守る活動を続けていきたい所存でございます!!

レポーター紹介

足軽あお

行田市観光PR隊「忍城おもてなし甲冑隊」 武将を支える縁の下の力持ち

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