海なし県・埼玉県で生まれて育ち半世紀が過ぎた。途中、大学6年間は海から遠く離れた北海道江別市で過ごし、海よりは牛と過ごす毎日。大学を卒業してUターン就職。双六の「ふりだしに戻る」みたいに、また海なし県・埼玉県民に戻った。
そんな私が婚姻関係により、海あり県・神奈川県と新潟県に親戚ができた。義理の祖母からもらった嫁入り道具は「刺身包丁」。新居にはスイカを四分の一にしたようなマグロ赤身の塊、皮を剥いだ不気味なカワハギ、まだ生きているトコブシ・・・見たこともない海産物が届いた。祖母からの電話で料理の仕方を教えてもらうが、新米のお嫁さんには、なかなか難しい。今も「刺身包丁」は新品のまま戸棚に眠っている。
その後も海に行くのは、親戚の法事や墓参りを兼ねての家族旅行だが、海を見るだけで、なんとなくホッとする。どうして、ホッとするのかな?海から生物の進化は始まっているというが、ヒトの遺伝子レベルで海を故郷のように懐かしく思うのだろうか。海で泳ぎたいとは思わないが、ボーッと眺めているのは苦にならない。むしろ落ち着く感じだ。海無し県民が、ただ憧れで海を見ているから、そんな呑気な気持ちでいられるのかもしれない。
呑気な母をよそに、埼玉県民の息子が海で働くことになった。まさか、家族旅行で訪れていた神奈川の海を拠点に仕事に就くとは、全く思っていなかった。スイミングスクールに通い始めた頃、水に顔をつけられなかった息子が大海原に出て働くとは。世の中、何が起こるかわからないものだ。
今度は、働いている息子に会うために海に行くようになった。横浜開港祭では、息子に会って船からの景色を楽しんだ。どうやら、私にとって海に行くのは、「誰かに会いに行く」ことみたいだ。
FMクマガヤパーソナリティ、獣医師