県土に占める河川面積の割合が3・9%で「全国一」の埼玉県。
県内には河川の数に比例して数多くの橋があります。
たくさんある橋の中でも埼玉県行田市には、とても悲しいエピソードのある「縁切橋」と「涙橋」という2つの橋の言い伝えがあります。
舞台は関東七名城の一つとされ、続日本100名城にも選定された「忍城(おしじょう)」でのことです。
城主の成田氏長は、優秀で周囲からも信頼される人物でした。
しかし、時代は戦国時代。
いろいろな思惑や策略がうずまく中、氏長は愛する妻を父親の元へ返さなくてはならなくなりました。
氏長は橋のところで別れを惜しみながら妻を見送りました。
以来、この橋を「縁切橋」と呼ぶようになったと伝えられています。
また、妻は途中の橋で後ろを振り返りました。
その視線の先には氏長とまだ幼い娘・甲斐姫の姿があり、妻は涙を流したそうです。
それからというもの、この橋は「涙橋」になったといわれています。
現在、橋の場所は住宅地となっていますが、地元のライオンズクライブが建立した石碑があります。
縁切橋と涙橋の間は、歩くと徒歩約50秒ほどの距離です。
縁切橋で別れたものの、こらえ切れずに振り返った妻の気持ちがしのばれます。
※縁切橋・涙橋の由来には諸説あります。
イベント名 | 離縁した城主と妻の悲話が由来 埼玉県行田市の縁切橋・涙橋 |
埼玉をこよなく愛する、埼玉専門の覆面フリーライター。実は生まれ育ちは東京。
愛車の原付バイクで県内をくまなく回り、埼玉のニッチな魅力を日々発掘!
テレビ出演多数。
著書【埼玉のアナ 東上沿線 和光-川越編】。