海がなくとも魚は食べられる埼玉県!
それは最近だけのことではなく江戸時代にも海の魚を食べていた多くの記録が残っているのだ。
どうも行田市観光PR隊-忍城おもてなし甲冑隊の大将 成田長親にございます。
実は現在、忍城併設の行田市郷土博物館にて企画展「魚食のグルメ」をやっており幕末から近代にかけての魚食文化を知ることができるのだ。
幕末の忍藩士であった尾崎石城さんの絵入りの日記が残っており日常的に食べられていたものが分かる貴重な資料を元に様々な解説があるぞ!
石城の自宅で最も多く食されていたのはイワシとめざし。
また、祝いの席や客人をもてなす時にはフナ、ドジョウ、ナマズなどの淡水魚やマグロ、ブリ、タラなどの海水魚と多くの種類の魚が食べられていたようだ。
さて、忍の地(行田)に海の魚がどうやってきたかというと江戸(東京)から商人が歩いて運んだいた。
江戸城には各地より食用魚が納められておりました。
それらの一部が一般向けに日本橋魚市場で販売されていたのだ。
忍の商人も主に日本橋へ買いつけにいっていたのであろう。
ある魚屋の記述によると月に六度は江戸へ仕入れに行っていたとのこと!!!
忍⇌江戸を歩いて月に六往復とは凄いがそれだけ需要もあったのであろう。
展示室内にはそれらの資料とともに魚の剝製や魚を獲る為の道具などの展示もあり楽しめる。
そんな「魚食のグルメ」は11月24日(月)までの開催となっております。
是非足をお運びくだされ。
行田市観光PR隊「忍城おもてなし甲冑隊」大将
行田フライ大使
全国にいるご当地PR戦国武将きっての脱力系